5年ぶりに百名山と銘打たれた山に登りました。百名山中、最難関とされる剣岳2,999mです。
◆14食分の食料を持って
8月に入り、天候を読んで出発の2日前に剣岳行きを決めました。余裕をもっての2泊3日の山行です。
前日に食料を買い出しし、パッキング。小屋泊ですが、食物アレルギーの事情で全食自炊なので、だんなと2人分で14食+行動食を持ちました。ザックに詰めるとかなりの荷物量です。
◆初日は剣山荘まで
初日は移動日です。黒部アルペンルートの長野側、扇沢からアプローチしました。電気バス~徒歩(黒部ダム)~ケーブルカー~ロープウェイ~トロリーバス、と乗り継いで室堂へ向かいます。
久し振りの室堂は、夏休みとあって平日でも賑わっていました。
室堂からは剱御前小屋を経由して、剣山荘へ。高山植物のお花畑(チングルマなど)が見ごたえありました。
雪渓はかなり溶けて小さくなっていて、しっかり階段状に切ってもらってあったので歩きやすかったです。持参したスノースパイクは出番がなく、単なる重りと化しました。
剣山荘は剣岳に最も近い山小屋ですが、平日とあって空いていました。(シャワーが使える事に驚きました。)
◆いよいよ剣岳アタック
剣岳の岩稜の鎖場は厳しい上、団体のパーティとかち合うと渋滞するのが通説になっているので、早朝の行動開始が鍵になります。わが家は3時に起床し、朝食抜きでまだ暗い4時前に小屋を出発しました。
登山道の脇では雷鳥が盛んに「グェ~グェ~」と鳴いていますが、暗くてどこにいるのか全く分かりません。
ヘッドランプの明かりで他の登山者の気配は判りますが、前後に付くパーティはありません。焦る必要は無く、所々で行動食を頬張りつつ、じわじわ登っていきます。
日の出を迎えるとガスが出て、これが幸いしました。むしろ回りがよく見えない方が高度感が判らず、恐怖を感じにくかったです。
◆鎖場が辛い
前半の鎖場はまだ鎖が補助的な存在で、あまり頼らずに登れました。
が、前剣のピークを過ぎると厳しさ増し増しになり、5番目鎖場「前剣の門」からはマジか?!という状態に。ほぼ垂直の絶壁に鎖がかかっているだけに見えます。
※「前剣の門」では追い付いてきた男性に先行してもらいました
更に、取り付き手前の一本橋は幅30cm位で、手すりも何も無いものです。その下は奈落の底の様に何処までも切れ落ちています(多分です→怖くて下を見ていないので、実際の高度は確認不能)。
その後も「マジか~?!」という鎖場が次々現れ、体力的よりもメンタル的に辛い。一瞬「もう止めたい」と思うも、今更行くのも戻るのも地獄。そもそも剣山の山頂近くは上りと下りのルートが分けられているので、逆走もアカンし・・・
だんなも「ここで滑落したら遺体はどうやって回収されるのか」などと考えていた様ですが、私は滑落後のことまで考える余裕もなく・・・。
とにかく目の前の鎖場を「三点支持、三点支持…」と唱えながら攻略するのが精いっぱいでした。
やがてがれ場に出て、初めて山頂直下まで来ている事に気が付きました。いつの間にか、かの(登山者の間では)有名な「カニのタテバイ」も通過していました。
※山頂直下から振り返った「カニのタテバイ」
※手前の壁面を拡大すると、今まさに通過中の人がいます。これを通って来たのか~
◆登頂!
途中休憩を入れつつも、ほぼコースタイムどおりの2時間半で登頂しました。やれやれ。
※登頂しました!
山頂ではガスも取れ、快晴無風で360度の絶景でした。北アルプスの名峰の数々だけでなく、富士山も白山も・・・登った甲斐がありました!
しばしの休憩の後、下山開始です。しかし、またあの鎖場を戻るのか~(泣)。
◆下山後は温泉だ
剣岳から無事戻った後は、剣山荘で遅い朝食を摂ってデポしたザックを回収し、室堂まで下山。
2泊目は雷鳥沢ヒュッテの源泉かけ流し温泉で、ゆっくり疲れを取りました。
※山スキーで泊まって以来、約30年ぶりの雷鳥沢の温泉。避暑にももってこいでした。
今回はふくらはぎだけでなく、普段登山では使わない二の腕や肩回りが筋肉痛になりましたとさ。
◆残るは5座
登ってみて、剣岳はやはり色んな意味で別格でした。山容もそうですが、辛さも難易度も。私的には奥穂高岳から大キレット経由の槍ヶ岳に次ぐ辛さでした。
実際、コロナ禍や、体調の面で登山から遠ざかっていた期間もあり、難易度が高い剣岳はもう登れないかも・・・と思っていました。
8月に入り、天候を読んで出発の2日前に剣岳行きを決めました。余裕をもっての2泊3日の山行です。
前日に食料を買い出しし、パッキング。小屋泊ですが、食物アレルギーの事情で全食自炊なので、だんなと2人分で14食+行動食を持ちました。ザックに詰めるとかなりの荷物量です。
◆初日は剣山荘まで
初日は移動日です。黒部アルペンルートの長野側、扇沢からアプローチしました。電気バス~徒歩(黒部ダム)~ケーブルカー~ロープウェイ~トロリーバス、と乗り継いで室堂へ向かいます。
久し振りの室堂は、夏休みとあって平日でも賑わっていました。
室堂からは剱御前小屋を経由して、剣山荘へ。高山植物のお花畑(チングルマなど)が見ごたえありました。
雪渓はかなり溶けて小さくなっていて、しっかり階段状に切ってもらってあったので歩きやすかったです。持参したスノースパイクは出番がなく、単なる重りと化しました。
剣山荘は剣岳に最も近い山小屋ですが、平日とあって空いていました。(シャワーが使える事に驚きました。)
◆いよいよ剣岳アタック
剣岳の岩稜の鎖場は厳しい上、団体のパーティとかち合うと渋滞するのが通説になっているので、早朝の行動開始が鍵になります。わが家は3時に起床し、朝食抜きでまだ暗い4時前に小屋を出発しました。
登山道の脇では雷鳥が盛んに「グェ~グェ~」と鳴いていますが、暗くてどこにいるのか全く分かりません。
ヘッドランプの明かりで他の登山者の気配は判りますが、前後に付くパーティはありません。焦る必要は無く、所々で行動食を頬張りつつ、じわじわ登っていきます。
日の出を迎えるとガスが出て、これが幸いしました。むしろ回りがよく見えない方が高度感が判らず、恐怖を感じにくかったです。
◆鎖場が辛い
前半の鎖場はまだ鎖が補助的な存在で、あまり頼らずに登れました。
が、前剣のピークを過ぎると厳しさ増し増しになり、5番目鎖場「前剣の門」からはマジか?!という状態に。ほぼ垂直の絶壁に鎖がかかっているだけに見えます。
※「前剣の門」では追い付いてきた男性に先行してもらいました
更に、取り付き手前の一本橋は幅30cm位で、手すりも何も無いものです。その下は奈落の底の様に何処までも切れ落ちています(多分です→怖くて下を見ていないので、実際の高度は確認不能)。
その後も「マジか~?!」という鎖場が次々現れ、体力的よりもメンタル的に辛い。一瞬「もう止めたい」と思うも、今更行くのも戻るのも地獄。そもそも剣山の山頂近くは上りと下りのルートが分けられているので、逆走もアカンし・・・
だんなも「ここで滑落したら遺体はどうやって回収されるのか」などと考えていた様ですが、私は滑落後のことまで考える余裕もなく・・・。
とにかく目の前の鎖場を「三点支持、三点支持…」と唱えながら攻略するのが精いっぱいでした。
やがてがれ場に出て、初めて山頂直下まで来ている事に気が付きました。いつの間にか、かの(登山者の間では)有名な「カニのタテバイ」も通過していました。
※山頂直下から振り返った「カニのタテバイ」
※手前の壁面を拡大すると、今まさに通過中の人がいます。これを通って来たのか~
◆登頂!
途中休憩を入れつつも、ほぼコースタイムどおりの2時間半で登頂しました。やれやれ。
※登頂しました!
山頂ではガスも取れ、快晴無風で360度の絶景でした。北アルプスの名峰の数々だけでなく、富士山も白山も・・・登った甲斐がありました!
しばしの休憩の後、下山開始です。しかし、またあの鎖場を戻るのか~(泣)。
◆下山後は温泉だ
剣岳から無事戻った後は、剣山荘で遅い朝食を摂ってデポしたザックを回収し、室堂まで下山。
2泊目は雷鳥沢ヒュッテの源泉かけ流し温泉で、ゆっくり疲れを取りました。
※山スキーで泊まって以来、約30年ぶりの雷鳥沢の温泉。避暑にももってこいでした。
今回はふくらはぎだけでなく、普段登山では使わない二の腕や肩回りが筋肉痛になりましたとさ。
◆残るは5座
登ってみて、剣岳はやはり色んな意味で別格でした。山容もそうですが、辛さも難易度も。私的には奥穂高岳から大キレット経由の槍ヶ岳に次ぐ辛さでした。
実際、コロナ禍や、体調の面で登山から遠ざかっていた期間もあり、難易度が高い剣岳はもう登れないかも・・・と思っていました。
でも今回の剣岳登頂で、わが家の百名山踏破も可能性が復活しました。残すところ5座、草津白根山、北海道の3山(幌尻、羅臼、斜里)と富士山です。今となっては草津白根山が最も難易度が高いかも(噴火しちゃったので)。
その前の北アルプス山行はこちら、燕岳でした。
宜しかったら読者登録下さいまし<(_ _)>
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