市の美術博物館に、民俗学者の柳田國男の住居が併設されています。昭和初期に建てられた、貴重な洋風家屋です。それを見る機会がありました。

※趣のある洋風の邸宅です。屋根は急こう配のスレート瓦っぽいです
◆昭和初期の洋風建築
もともとは世田谷区成城(当時は砧村)に建てられていたものを、平成になってから飯田市に移築したものです。柳田國男自身は飯田市に住んだことは無く、養嗣子先の柳田家の本籍があった所以のことだそうです。

※趣のある洋風の邸宅です。屋根は急こう配のスレート瓦っぽいです
◆昭和初期の洋風建築
もともとは世田谷区成城(当時は砧村)に建てられていたものを、平成になってから飯田市に移築したものです。柳田國男自身は飯田市に住んだことは無く、養嗣子先の柳田家の本籍があった所以のことだそうです。
住居は昭和初期に建てられた洋風建築です。農商務省の高官だった柳田國男が、欧州出張後に建てたそうなので、現地で感化されたのでしょうか。「喜談書屋(きたんしょおく)」と名付けられ、1階は大きな書斎と食堂、2階は2世帯の居部屋でした。書斎には民俗学の研究者が集ったそうです。
現在も書架には柳田國男の書籍や、民俗学・郷土史関連の資料がぎっしり揃えられ、自由に閲覧できる贅沢な空間です。

※文化庁の登録有形文化財になっています
戦前の住居としては大きくて天井も高く、階段もゆったりと作られています。華美な装飾は無く、簡素ながら洒落ています。ガラス窓は木製の2重サッシです。当時の日本家屋にはない発想ですよね。

※2階中央にあつらえられた、ゆとりのある階段とホール
戦火を免れ、良く残っていたものだと思います。
100年前に欧州の思想で作られた日本の家を見て、この時の(断熱や間取り等諸々の)思想の隔たりが未だに日本の住宅は埋められていないんだな・・・と、個人的には感じました。
◆遠野物語
戦前の住居としては大きくて天井も高く、階段もゆったりと作られています。華美な装飾は無く、簡素ながら洒落ています。ガラス窓は木製の2重サッシです。当時の日本家屋にはない発想ですよね。

※2階中央にあつらえられた、ゆとりのある階段とホール
戦火を免れ、良く残っていたものだと思います。
100年前に欧州の思想で作られた日本の家を見て、この時の(断熱や間取り等諸々の)思想の隔たりが未だに日本の住宅は埋められていないんだな・・・と、個人的には感じました。
◆遠野物語
若い頃、代表作の遠野物語を読み、伝承のインパクトがあまりにも強すぎてソロツーリングに出かけました。いざ遠野付近でキャンプしたのですが、遠野にいそうな異世界の何かが怖くてろくに眠れませんでした。

現地では、遠野物語はファンタジーっぽく明るい感じで紹介されていますが、私はもっと暗くてじめっとした印象で受け止めています。根底に、岩手の厳しい気候と、当時の山間部の苦労を感じます。柳田國男が掘り起こして民俗学としてまとめなければ、消えてしまった文化でしょう。
ということを、喜談書屋を訪ねて思い起こしました。しかし年齢を経て感性も鈍り、最初に遠野物語を読んだような衝撃を受けることは無くなりました…

現地では、遠野物語はファンタジーっぽく明るい感じで紹介されていますが、私はもっと暗くてじめっとした印象で受け止めています。根底に、岩手の厳しい気候と、当時の山間部の苦労を感じます。柳田國男が掘り起こして民俗学としてまとめなければ、消えてしまった文化でしょう。
ということを、喜談書屋を訪ねて思い起こしました。しかし年齢を経て感性も鈍り、最初に遠野物語を読んだような衝撃を受けることは無くなりました…
美術博物館も見ごたえ充分です。折々に活用させて頂こう!